太陽の首都

つぶやき以上レビュー以下な雑感サイトです
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ジャック・リッチー「クライム・マシン」 

クライム・マシン (晶文社ミステリ)
ひねり度 ★★★★★
あらすじ:殺し屋リーヴズの前に現れた男は、タイム・マシンで彼の犯行を目撃したと言った。最初は一笑に付したリーヴズだが、男が次々に示す証拠に次第に真剣になっていき、何とかマシンを手に入れようと企てる。

2005年の「週刊文春ミステリーベスト10」第2位、2006年の「このミステリーがすごい!」第1位(ともに海外編)に選ばれた短編集。
ずっと気になっていたが先日中古で安売りされていたのを発見し、ようやくゲット。
ジャック・リッチー(1983年没)は、1950年~80年代にかけて短編ミステリのみを350篇も書き続けた短編のスペシャリスト。
無駄な描写を徹底的に削ぎ落とした簡潔な文体が特徴で、年代や流行を感じさせない普遍的な作品の数々が堪能できる。
ウィットに富んだ言い回しと皮肉の効いた表現、読者の予想を裏切る巧みなストーリーテリングは職人技と言ってもいい。
この本はハードカバーで約300ページだが、17もの短編が収録されている。
一人称、会話主体、人外なものなど様々ある中で、一番気にいったのは「殺人哲学者」。
わずか5ページの超短編ながら、読み手の先入観を見事に操った驚きの展開が素晴らしい。
次に好きなのは「歳はいくつだ」かな。冷酷さと哀愁が入り混じった渋い小話といった感じ。
迷推理が冴え渡るターンバックル刑事シリーズは、あくまで真剣なターンバックルの言動と実際の状況とのギャップが楽しい。
NMA(アメリカ探偵作家クラブ)最優秀短編賞を受賞した「エミリーがいない」は、ある程度先が読めたのであまり驚きはなかった。
というか、続けて読んでいるとどれも最初から疑ってかかるので、どんでん返し感は薄れてくるな。
それよりむしろシャープかつクールな語り口に惹き込まれる。
潔いほどシンプルな文章の中にピリッとスパイスを効かせ、全てを語らず読者に想像の余地を残した締め方も実にニクい。
こんな小説家を知らずにいたとは…勿体なかったな。
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[ 2009/06/14 23:02 ] 海外小説 | TB(0) | CM(0)

J.D.サリンジャー「フラニーとゾーイー」 

フラニーとゾーイー (新潮文庫)
繊細度 ★★★★★
あらすじ:エゴとスノッブが蔓延する世の中に耐え切れず、病的になって家に引きこもるフラニー。そんな妹の気持ちを理解しながらも、兄ゾーイーは彼女を何とか説得しようとする。

「ライ麦畑でつかまえて」で有名な(といっても読んだ事は無いが)サリンジャーの作品(1961)。
7人兄弟と両親からなるグラース一家にまつわる物語の一つで、末っ子フラニーとその上のゾーイーの話。
大学生のフラニーは周りの人間たちがみんな見栄っ張りや上っ面だけの気取りで溢れかえっていると感じ、イエスの祈りについて書かれた「巡礼の道」という本に救いを見出そうとする。
10~20代の若者が抱く、社会への憧れや現実に対する落胆・葛藤などが実にリアルで、何気ない仕草や小道具を巧みに描き、微妙な年頃の心理を細やかに表現している。
こういう青春の苦悩は誠実に生きようとする人間なら誰でもぶち当たる壁ではあるが、フラニーは優秀が故に潔癖症にも似た完璧さを求めすぎてしまっているんだろうな。

そんな彼女に自分と同じ「奇形児教育」を受けたと感じている俳優のゾーイーは、共感しながらも説得を試みる。
このゾーイー編、ほとんど会話中心で進行していくのだが、これがいい。
次兄バディからの手紙に始まり、バスタブでのゾーイーと母親ベシー、そしてゾーイーとフラニーの会話と、かなり遠慮なくズバズバ言い合っているのだが、その根底にあるのは間違いなく家族の絆だ。
特にゾーイーは皮肉屋ともいえる自分の性格をよく分かっており、彼のウィットに飛んだ台詞はもはや達観の域。
「全力を尽くしてへばっちまう事ができるなら、同じ力をなぜ元気で活躍するために使う事ができないんだ?」
「君は最低の人間なんかじゃないのに、今この瞬間にも最低な物の考え方に首までつかってるじゃないか」
「俳優の心掛けるべきはただ一つ、他人にどう見えるかではなく、自分が完璧だと思うものを狙う事」
など核心をついた言葉の数々は、フラニーに答えを与えるだけでなく、俺にとっても新たな視野を広げてくれた気がする。

他にも聖書の一節、東洋哲学や詩人たちの格言など広い分野の知識や教養に言及しているが、作品全体に流れているのは繊細かつ鮮やかに描かれた若者の感性と深い家族愛、これに尽きる。
起伏のある劇的なストーリーではないが、生き生きとしたグラース一家が実に魅力的だ。
野崎孝による日本語訳も見事だし、サリンジャーの作品は是非また読んでみよう。
[ 2008/06/05 23:56 ] 海外小説 | TB(0) | CM(2)

スティーヴン・キング「スタンド・バイ・ミー」 


懐古度 ★★★★★
あらすじ:1960年、米メイン州の田舎町キャッスルロックに暮らす4人の少年は、行方不明だった少年の事故死体が森の奥にあると知り、「死体探し」の旅に出る。

このタイトルを知らない人はいないだろう。
1986年に公開された映画は青春映画の傑作として名高い。
この「スタンド・バイ・ミー」、俺の好きな映画部門で不動の一位である作品。そりゃもうぶっちぎりだ。
好きすぎて客観的に語れないだろうから映画のレビューはしないが、今までスルーしていた原作を読んでみた。
著者はモダン・ホラーの旗手と言われるスティーヴン・キング。
実は彼の「刑務所のリタ・ヘイワース」を映画化した「ショーシャンクの空に」がお気に入り映画2位だったりするんだが、まぁそれは置いておこう。

小説の原題は「The Body(死体)」で、「恐怖の四季」と名付けられた4本の中編の秋にあたる作品だ(実際には晩夏に近い)。
映画を見た方は知っているだろうが、死体探しを通して悪ガキ4人組の友情や成長を描いている。
時が経ち作家となった一人が回想して書くというスタイルで、内容も映画とほぼ同じ。一番違うのはラストのまとめ方か。
映画はやや感傷的に終わっていたが、原作はもう少し達観ぎみだ。
さらに少年達のその後の描かれ方も異なり、映画で疑問だった不吉の予兆の意味が分かった。
どうしても読みながら映画の映像を思い浮かべてしまうが、感じる印象はどちらもさほど変わらないな。懐かしさと切なさが入り交じった複雑な気持ちになる。

線路の上を歩いていく、というのに憧れたなぁ…(ただし実際にやると鉄道営業法違反で捕まる)。他にも秘密基地とか仲間内だけのサインとか下らない話とか、自分にもあった子供達だけの世界というものを思い出さずにはいられない。
冒険小説の形を取っているが線路の先にあるのは希望ではなく、死体。これがこの作品全体の雰囲気を決定づけてるな。
どこか暗い後ろめたさを感じながらも死体に惹かれずにはいられない少年たちに自然と感情移入してしまう。半自伝的な作品とはいえ、12歳の子供の心情をどうしてここまで的確に表現できるんだ。
なお、作中に主人公ゴーディの初期の作品として短編が2本収録されている。「スタッド・シティ」と映画でも使われたパイ食い大会の話で、これらは実際に若い頃のキングが書いた習作らしい。

この本に収められているもう一つの作品は冬の物語、「マンハッタンの奇譚クラブ」。
不思議な話を披露する風習のある奇妙な紳士クラブを描いた、地味ながら味わいのある中篇。
ちなみに春夏編には「刑務所のリタ・ヘイワース」と「ゴールデンボーイ」が収録されており、「マンハッタン~」以外は映画化されている。
「恐怖の四季」というのは誤解を招くタイトルで、ホラー性はほとんどない。本当は「Different Seasons」なので「それぞれの季節」でもいいと思うが、キングのイメージに合わせたんだろうか。
[ 2007/09/24 01:07 ] 海外小説 | TB(0) | CM(0)

ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」 

車輪の下 (新潮文庫)
ガリ勉の悲劇度 ★★★★★
あらすじ:南ドイツの小さな町で生まれた優等生のハンスは、難関試験に合格し神学校へ入学する。だが、そこでの厳しい生活や友情との間で苦悩する。

ヘッセが自身のマウルブロン神学校時代を題材にした1905年の作品。
周囲の期待に応えるため猛勉強を重ねる生徒に降りかかる悲劇を描き、現代にも通ずる「詰め込み教育」に対する批判が窺える。
思春期という多感な年頃の少年が学業のために自身をすり減らし、次第に追い詰められていく様子は哀れとしか言いようがない。
「学生の本分は勉強にある」というのは確かに分かる。知識や教養を身につけ、社会に貢献するために勉学は必要だ。
でも仲間との友情を通して人間関係を築いたり、若い頃にしか味わえない開放感を体験する事も重要だろう。
普通はどちらも自然と経験するものだと思うが、学問追求型で規制の厳しい神学校のようなところでは難しいのかもしれない。

主人公ハンスは秀才であるがゆえにプレッシャーをかけられ、自分でも気づかないうちに追い込まれていく。
文化的な精神を得る代わりに自己を抑圧した生活を送るが、ハイルナーという少年と親友になり変化が現れる。
ハイルナーは天才型の問題児で奔放な精神を持ち、抑えつけられる事を何より嫌う。
彼との友情がハンスの苦悩の始まりだな。
勉強よりも大事なものがある事に気づきハイルナーとの絆を深めるが、一方で落ちていく成績に不満を抱き苦しむ。
やがてハイルナーが問題を起こし放校に処されると、残されたハンスの精神は危うくなっていき絶望街道まっしぐら。学校を去る事になる。
ヘッセ自身、神学校の生活に耐えられなくなり逃げ出している。
彼は支えてくれる母親の存在により立ち直ったが、母を早くに亡くし父親も頼りにならなかったハンスには悲劇が訪れた。

誰もハンスの悩みに気づいてやれなかったという、なんとも後味の悪い作品だ。
釣りに興じた子供時代の記憶がみずみずしく描かれているだけに、いっそう悲惨に感じる。
自伝的な小説ではあるが、ハンスとハイルナーという二人の少年にヘッセの性格を二分させているのが特徴だろう。
天才と模範生という異なる両者の一方は鳥のように飛び立っていき、一方は車輪の下に押しつぶされてしまった。
自分の青春時代を振り返り安堵したが、現代においても深刻な問題だな。
[ 2007/08/29 23:16 ] 海外小説 | TB(0) | CM(0)

フランツ・カフカ「変身」 

変身
毒虫度 ★★★★★
以前カミュの「異邦人」を読んだ時に挙げた不条理文学の代表作。
「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自分がベッドで巨大な虫に変わっていることに気づいた」
という有名な文章で始まり、毒虫になってしまったザムザと家族の日常を淡々と描いている。

人間が突然虫に変身する、という設定がまず奇怪。普通はありえない。
なのに家族や周りの人間は変身したザムザを恐れ、気味悪がりはしても、事態の異常さには誰も触れない。「なんでやねん!」とツッコミを入れる人間が皆無なのだ。
ザムザ自身も「なんか知らないけど変身しちゃったんだから仕方ないじゃん」というスタンス。
そして最も不可解なのは、なぜ変身したのかが作中で全く語られない事だ。
部屋から出られず家族にも疎まれ、やがて衰弱死したザムザを見て、ようやく将来に希望を抱いた家族の姿が描かれて物語は終わる。
なんだろう、この読者を突き放すような呆気なさは。難解だ。

俺なりに感じたのは「毒虫」と「変身」というキーワードの意味。
「毒虫」には、「世にも気色悪い虫として描かれているザムザの姿」と「社会から忌み嫌われる存在」という二つの意味がある。
さらに「変身」も、「ザムザが人間から虫に変わる事」と「ザムザに対する家族の接し方ビフォー・アフター」を表現している。
つまり、現代社会にも置き換えられる問題だと思う。
突然自分の状況が変わってしまったら周りの人間はどうするのか?変わりなく接してくれるか、それとも敬遠するか?
そういう不安も象徴した作品だと感じた。
[ 2007/06/05 17:13 ] 海外小説 | TB(0) | CM(0)
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